震災体験記【5】 2011年4月8日(金)
震災体験記
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【4】 【4−2】
【5】 【5−2】
【6】
【心の声1】 【心の声2】
家族構成・居所については【1】をご覧ください。
記述について:
プライバシー関連のことがらはフェイク入れてます。
4月8日(29日目・今日から5週間目)朝
アパートへ
実家へ
■4月8日(金) 29日目。今日から5週間目に入る。天気:曇りベース。午後から雨の予報だったが持ちこたえる。
7時頃起床(私)。動揺と鼻水のせいであまり眠れてない。
起きて眼鏡かけようとした時、フレームが歪んでるのに気づいた…のはこの時かな?たぶん昨夜、揺れで吹っ飛んだ時にひん曲がったのであろうと思しき歪みができてました。かけてみるとだいぶ「いずい」(方言。違和感があるという意味)のですが、眼鏡1個しか持ってないのでそのままかけるしかなく、しばらくは微妙に歪んだままの眼鏡をかけてました。セカンド眼鏡を持つということも大事だなと痛感。
そういえば、本震の後、しばらくは夜寝る時、眼鏡かけたまま寝てたなぁ。逃げなきゃならない状況になった時でもすぐに逃げられるように。眼鏡外して寝るようになったのはいつ頃だったんだろう…覚えてないけどかなりしばらくの間は、眼鏡かけたまま寝てました。
朝食:白米(蒸して温める)、みそ汁(昨日の残り)、レタス、ハム、玉子焼き。
新聞は地元紙のみ昨夜の地震の記事あり(1面)。
実家の台所にある時計。コンセントから電気取ってる時計なので昨夜の地震の時刻で止まったまま。
仕事の取引先などに電話やメール。携帯は普通につながった。
歯医者の予約を取り消すための電話もかけたけど、つながらず。固定電話は今どきはほぼ、電気がないとつながらないんだよね。昔の黒電話はよかった。停電でも受話器取れば「プーー」と回線が生きてる音がしてたもんね。私は何となくその記憶が残ってて、今回、本震の後、停電中に固定電話の受話器を取ってみるということを何回かしてしまってました。いずれも無音。そっか電気ないとだめなんだ…とあらためて気づいた瞬間でしたね。
午前、車でアパートに戻る。
昨夜は暗闇で気づいてなかったけど、台所のガスコンロの上に乗せていた、みそ汁の入った鍋が、ひっくり返って見事に床に中身がぶちまかってました。(「ぶちまかる」って方言?)「こぼれた」どころじゃないまさに「ぶちまかってる」状態。
その前に、台所の床の様子↓
ああ…。本震の時よりひどいわこりゃ。また片付けなければならないことにうんざり。
そしてこのような状態のところにみそ汁がぶちまかった様子↓
中央の片手鍋がそうです。床に敷いたマットから何から何までみそ汁まみれ。しかもよりによってなめこのみそ汁ときたよ…ぬるぬるをすっかり拭くのが大変でした…。
フロアマットを洗面所でざばざば洗う(今回は水道は大丈夫だった)。そしてこの大散らかりの台所の床を片付け、今度大きな揺れが来ても諸々二度と落ちないように、ワイヤーやらひもやらでぎりぎりと縛りつける。そういえば本震の時、買って間もない薄型テレビがひっくり返って、起こし上げてみたら擦り傷があちこちに…。画面の目立つところにも大きめの傷が。これ壊れなくてよかった〜画面割れたりしなくて傷だけでまだよかったけど、でも傷がついたのはショックでした。買ったばっかりだったし。もう二度とひっくり返って落ちないように、テレビ台にワイヤーでぎりぎりと縛りつけ、そのおかげで今回の揺れではしっかと立ってて大丈夫でした。
ブレーカー下げ、ガスの元栓を閉め、着替えや貴重品、飲み物、保湿ティッシュなど持って午前中のうちに実家に帰宅。
スーパーやコンビニなどは開いているところもあり、閉まっているところもあり。
実家にて昼食、夕食など普通に過ごす。食べる物の準備はありもので。停電中だけどもう手慣れたものである。
昨日の夜の大きな揺れ以来、余震らしい余震がなくて「なんか不気味」とメモに。
ラジオにてNHK7時のニュースを聴く。
「宮城・岩手の県境の一部の地域を除き、本日中に(停電は)復旧する見通し」との内容。
「震災以来、東北地方は停電になりやすくなっている。万が一の時に稼働できる電源システムを作ることが課題」とのこと。これは原発についてのことだったのかな。
↓停電中の様子。私と母とみみこがこたつに入っております。みみこは頭から入っております。電気が来てないこたつですがあたたかい。
夜9時半頃就寝。
11時15分、急に茶の間で電気とテレビが点く。昨夜テレビ点いてた時に停電になったのね。これにて電気復旧。よかったー。
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