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震災体験記【2−3】 2011年3月24日(木)

震災体験記
【1】 【1−2】 【1−3】
【2】 【2−2】 【2−3】
【3】 【3−2】
【4】 【4−2】
【5】 【5−2】
【6】
【心の声1】 【心の声2】

家族構成・居所については【1】をご覧ください。

記述について:
 プライバシー関連のことがらはフェイク入れてます。

3月24日(14日目)朝〜昼
3月17日(7日目)午後〜夜


3月24日(木) 14日目 天気:晴れ。薄明るい。気温低い。
 8時起床(私)。
 朝食:十六穀米(レンジ温め)、納豆、みそ汁(なす、大根、にんじん、油揚げ、ねぎ)、海苔、漬物など
 今朝のNHKニュース:東北自動車道、今日の朝6時にすべての車両の通行制限解除。
 地元紙:ヤマト運輸23日から宅配・集荷再開(青森・秋田・山形)、佐川急便24日から宅配・集荷再開(宮城は沿岸部を除く)

 午前、私、自転車でアパートへ。
 途中で某スーパーに寄って買い物。買った物:カレーパン2個、ピロシキ、大根、水菜、以上1つ100円。パンは1人3個までの制限あり。あと豚ローススライス1パック(500円)。
 アパートにて仕事の書類作りなど。それにしても、聞くところによると地区的にはとっくに水道は復旧しているらしいのだが、なぜか我がアパートは水が全然出ないので、どうしたことかと思って管理会社に電話してみる。どうやら給湯器が壊れている可能性があるので管理会社で水道の栓を閉めていたらしい。来てもらって栓を開けてもらうと、給湯器から水ダダ漏れ…。これは栓は閉めておくしかない。修理に来てもらうにも同じような依頼がたくさん来ていて業者がてんてこ舞いらしいので、しばらく先になるとのこと。そんなわけで我がアパートではこれからまだしばらく水道なしの生活が続きます。

 昼食はアパートにてデニッシュパン、チョコチップスティックパン、カレーパン、実家から持ってきたがんづきとまんじゅう。

 名古屋の友人が送ってくれたパン。こうして元のように、お昼に気軽にパン食べれるなんて…感動!!

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 午後3時頃アパートを出て、郵便局に寄る。取引先に封書を出そうとしたら「災害用郵便」という制度で無料で送れますと言われた。そんな制度があるとは。4月15日までは無料で出せますとのこと。
 郵便局自体は先週後半あたりから再開してたらしい。局員の人曰く、電気の復旧が早かった地域は再開も早かったと。

 自転車で帰る途中、雪まじりのびちょびちょみぞれに降られる。自転車の前かごに入れたバッグが濡れないように、ストールでぐるぐる包んでまた出発。

 実家に帰り着くと、札幌に住んでいる友人達が送ってくれた物資が届いていた。正確に言うと、私の留守中に父が佐川の営業所に車で行って、荷物を引き取ってきてくれてた。3月19日発送で昨日(23日)に当地の営業所到着。食べ物や生活用品たくさん…みんな本当にありがとう!!!m(_ _)m
 赤ちゃんのいるお家にあげてねってことで紙おむつや粉ミルク、おしりふきも入れてくれたので、さっそく近所のお家にあげに行く。赤ちゃん用品も潤沢に買えるというわけにはなかなかいかないようです。すごく感謝してましたよ、札幌の友人達ほんとにありがとう。

 びちょびちょみぞれ雪、4時半頃にはやむ。つまり降っていたのは私が外にいた時だけ。いちばんひどい時に帰ってきてしまった…。
 5時20分頃、宮城で最大震度5弱の地震。

 夕食:十六穀米(レンジ温め)、みそ汁(麩、麩海苔、白菜、レタス)、ニラ玉、しらすおろし、豚ローススライスのしょうが焼き、サラダ(レタス、きゅうり)
 名古屋と札幌の友人達が食べ物をたくさん送ってくれたおかげもあり、あとお店でもだいたいは買えるようになってきて食品はだいぶ充足したので、食事の心配はこの時点でなくなったと見なし、これ以後、食事の内容は記述省略します。特筆したい時だけ書きますね。

 夕食後、お風呂。じいちゃん→母→父→私。
 雑学王3時間スペシャル見る。
 0時頃就寝(私)。夜中、余震で1回目が覚める。みみこせわしなく歩き回るがすぐ静かになる。だいぶ慣れてきましたね。

 私の鼻水はだいぶひどい。

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