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震災体験記【1−2】 2011年3月14日(月)〜16日(水)

震災体験記
【1】 【1−2】 【1−3】
【2】 【2−2】 【2−3】
【3】 【3−2】
【4】 【4−2】
【5】 【5−2】
【6】
【心の声1】 【心の声2】

家族構成・居所については【1】をご覧ください。

記述について:
 プライバシー関連のことがらはフェイク入れてます。

3月14日(4日目)朝〜昼
3月14日(4日目)午後〜夜
覚え書
3月15日(5日目)朝〜昼
3月15日(5日目)午後〜夜
3月16日(6日目)朝〜昼
3月16日(6日目)午後〜夜


3月14日(月) 4日目 天気:晴れ 暖かい
 新聞、3紙来る。昨日まで来てなかった全国紙1紙は昨日の分と今日の分がセットで来た。

 朝食:前日の食パンの残り、他ありもののパン、カップスープ、ハム・チーズ・きゅうり・レタスなど。

 午前、皆が着たきりだった衣類を手洗いで洗濯。洗剤を使うとすすぎが大変なので、水でごしごし洗うのみ。天気が良く暖かいのでよく乾く。
 引き続き家の中の片付け。各部屋で倒れていた大きい家具のうち、台所の食器棚と茶の間の棚を除いた他の棚やらを起こして元通りにする。棚の中身が壊れていたり、汚れたり、棚が倒れた時に壁が傷ついていたり、ひどいものでは壁に穴が開いていたり。まだ大きい余震が来ているので、本棚の本などはまた落ちてこないように床に置く。ほとんど物置と化している奥の間があるのですが、そこもこの地震で物という物が散乱しますます足を踏み入れられない状態になっていたのを、入口から1mぐらいのところまで人が入れる空間をやっと作る。

 昼食:野菜汁うどん(えのき、白菜、にんじん、鶏肉)、にしん甘露煮、漬物
 うどんは1袋(3食分)を4人で分ける。

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 午後、台所の倒れた食器棚を直す。余震に備えるため、棚が上下に分かれているうちの上部は上に乗せずに床に置く。扉のガラスが割れて無残な状態。
 私は自分の車でアパートへ行き、さらなる着替え、食料、ろうそくと電池(実家にある分の残りが心もとない)を持ってくる。

 昨日も開いていた某スーパー今日も開いている。あと昨日も開いていたスタンド2軒に加えてもう1軒、開いているのを発見。いずれも長蛇の列。

 夕食:白米(土鍋・ガスコンロで炊く)、昼のうどんの汁を汁物として、できあいのコロッケ(私のアパートの冷蔵庫から発見したもの)、冷凍物のハンバーグ(自然解凍されてるのでフライパンで焼く)、レタスとポテトサラダ、できあいの茶わん蒸し、菜っ葉のおひたし+海苔、フルーチェ(いちご味)
 これまでの記述でおわかりかと思いますが、我が家は、地震後も食事についてはなるべく普段どおりに(品数を減らしたりせず)作っていました。私は最初、いつ買い物できるかもわからないしおかず減らしたほうがいいじゃん!と言っていたのですが、母は「うーん…」。なるべくいつもどおりにしたほうが、気持ちが沈まないからいいと思っていた様子。うーんそれもそうだなと私も思い至る。特にうちは年寄りばっかりだから、「普段と違う」ということに対しての耐性があまりないんですよね。ボケるとまでは言わないけどじいちゃんなんか気持ちががっかりしちゃうもんね。そういう思いで、むしろいつもよりも品数が揃っているような食事を日々作り続けたのでした。これは正しかったと今にして思う。「気は心」という言葉をしみじみと実感。

 夜、ろうそくの灯りのもとで日々の記録のメモを書き始める(私)。
 じいちゃん、ペットボトル湯たんぽ今日はいらないとのこと。暖かかったからなのか、それとも気を遣っているのか。みみこは庭に出して就寝。

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3月14日のメモより覚え書:

私の携帯(docomo)…地震後、通話1回可能(仕事の取引先に発信)
              メール数回可能(送受信とも)
              3月12日頃からはずっと「圏外」表示 メール・通話とも不能
父の携帯(au)…3月14日午前、弟から着信、通話

そう!うちの家族には「弟」(私の)という奴もいるのです。首都圏で1人暮らし中。
以降たびたび登場します。

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3月15日(火) 5日目 天気:曇り。薄暗い。午後から雨。昨日まで暖かかったから余計寒い。夜は雪に変わり庭一面白くなる。
 8時20分起床(私)。
 朝食:白米(土鍋炊き)、納豆+ねぎ、みそ汁(なめこ、豆腐、みつば)、白菜おひたし+かつおぶし

 私ちょっと風邪気味。総合感冒薬とジンジャーティー飲む。


3月15日のメモより覚え書:

いつ食べたか忘れたけど今までに食べたもの…
・わかめ+きゅうり+シーチキンの和え物
・もやしと油揚げの煮びたし
・大根のみそ汁
・お茶、飲み物、おやつ、漬物は随時食べている


 午前、茶の間で倒れていた食器棚を元に戻す。上部と下部を別々に床に置く。
 茶の間だいぶ広くなり、こたつの天板も広々と全面使えるようになる。

 昼食:白米(朝の残り)、コンソメ&しょうゆ味付けのスープ(白菜、玉ねぎ、冷凍品ギョウザ・シューマイ)、焼き魚(サバ・みそ漬け)、もやしと油揚げの煮びたしの残り

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 午後、父、用事のため車で外出。風邪薬買ってきてと頼むも薬局開いておらず。

 近所の人が、すでに電気復旧した親戚宅で我が家の携帯も充電してくれる。父のと私の計2台。大変ありがたかった。
 あちこちとメール・通話。友人(電気関係会社勤務)からのメールで、私のアパートのある地域がすでに電気復旧していると知る。

 夕食:カレー(じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、豚肉)、白米(土鍋炊き)、フライドポテト(いただきもの)+ベーコン+ピーマンの炒め物、フルーチェ(ピーチ味)
 じいちゃんフルーチェ気に入った様子。(ヨーグルトだと思ってるようだけど)

 夜、父は親戚宅などあちこちに電話。母、震災覚え書を書き始める。私、風邪治る。みみこ、お座りのままいびきかいて寝ている。地震・余震の緊張状態が続いている様子。

 夜10時頃就寝。昨日かこの日あたりから、床の間に敷いた布団で寝る。屋根の上に積もった雪が時々、どどどーっと音をたてて落ち、その度にいちいちびっくりする。
 10時25分頃、強い揺れ。ラジオつけると静岡東部で震度6強とのこと。
 0時25分頃にも強い揺れ。みみこ家の中を駆け回ってうるさいので庭に出す。
 午前4時頃にも揺れで目覚める。毎晩こんな調子で余震があるたびに目が覚める。

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3月16日(水) 6日目 天気:曇り。時々日が差す。庭の雪とけ始める。午前〜昼はぼたぼた雪。午後もちらちら。
 7時30分起床(私)。
 朝食:白米(冷やご飯を蒸して温める)、納豆、昨日のみそ汁の残り、おからいり(冷蔵庫にあったやつ)

 午前、私、アパートに車で行き、母のと自分の携帯を充電。(しかし私の携帯はまた「圏外」表示)
 テレビ見る。最初映らなくて「なんで??」と途方に暮れるが、説明書と首っ引きで見てみたらコードが1本抜けていた。えいっと挿して復活。
 ひさしぶりのテレビ…。震災関連番組をずっとやっている。
 ガス使用可能という旨の通知が投函されている。水も出ることを確認。(←と、この時点ではメモに書いたが、水道管の中にあった水が出ていただけと後日判明。)
 携帯の電波復活したので、あちこちメール。

 アパートへの行き帰りの時にお店などの状況をあちこち見る。
・昨日まで開いていた某スーパーは閉店中。『3月15日以降休業いたします』という貼り紙が。
・営業しているのを昨日までに確認したスタンド3軒、いずれも今日は営業しておらず。
・復活している信号いくつかあり。

 昼食:みそラーメン(もやし、まいたけ、玉ねぎ、ねぎ)

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 友人からのメールで、「某スーパーは行列してるけど品数制限なしで普通に買える。明日も朝9時から営業」ということを知る。ありがとうm(_ _)m
 弟からのメール、こちらに帰ってくる高速バス取れたら取るとのこと。もし取れるなら、電池、パン、ドッグフードを買えたら買って帰ってきて〜と伝える。

 夕食:白米(冷やご飯を蒸して温める)、14日のうどんの汁の残りを汁物として、ギョウザ(いただきもの)、おからいり、サラダ(キャベツ、パプリカ)、漬物、フルーチェ(ピーチ味)

 夕食後、みみこ今日もお座りのままいびき。
 私と母、漢検の問題集に取り組む。夕食の後にろうそくの灯りでできることがあんまりなく、毎日あまりに暇なので、私がアパートから持ってきたもの。この日はまあまあ真面目にやったが、やはりろうそくの灯りでは薄暗くてだんだん疲れてくるので、結局、取り組んだのは後にも先にもこの日だけとなったとさ…。

 夜、みみこ家の中に入れたまま就寝。余震少なかったせいか昨夜よりはうるさくなかったので、庭に出されることなく朝まで中にいる。
 やはり毎晩、2〜3回は余震で目が覚める。

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