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震災体験記【4−2】 2011年4月5日(火)〜7日(木)

震災体験記
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【2】 【2−2】 【2−3】
【3】 【3−2】
【4】 【4−2】
【5】 【5−2】
【6】
【心の声1】 【心の声2】

家族構成・居所については【1】をご覧ください。

記述について:
 プライバシー関連のことがらはフェイク入れてます。

4月5日(26日目)
4月6日(27日目)
4月7日(28日目・満4週間)朝〜夜
4月7日(28日目)夜・再び…
4月7日(25日目)夜・実家へ


4月5日(火) 26日目 天気:晴れ。やや風ある。だんだん強風に。
 8時起床(私)。
 午前、自転車で出社。午前のみ仕事。
 仕事後、自転車でアパートに行き、そこから実家まで歩く。つまり自転車をアパートに置き、実家まで歩いて今度は車でアパートに戻ってくる、というアパート暮らし復帰の準備の一環。途中でコンビニや郵便局に寄って用事を済ませながら、実家まで1時間半弱、歩く。

 午後1時半過ぎ頃、実家に到着。宅配ピザはまだ届いていない様子。しばらくして届いたピザを父母と一緒にたらふく食べる。
 午前の間に父が私の車のタイヤ交換(冬タイヤから夏タイヤへ)をしておいてくれた。父ありがとう。地震後にアパートから持ってきていた衣類など自分の物、それと食料の一部を車に積み込む。地震後26日間に渡った実家生活にこれにてお別れ…アパート暮らしのほうが慣れてて気楽とは思うものの、いざお別れとなるとなかなか実家も離れがたく。なんせ実家だから。生まれ育った家だからね。父母じいちゃんと一緒の実家暮らしもいいなぁと今さらにして思ったのでした。まあアパートから近いからたぶんまたちょくちょく来るだろうと思うけどね。
 わずか2日後にそうなるとは、この時は露ほども思わず…。
 午後3時頃、車で実家を後にする。

 アパートに着いて荷物を降ろし、テレビなど見る。参加できそうなボランティアの情報をたまたまやっていたので急いで書き留めたり。あと仕事関係のところに電話したり諸々。

 26日ぶりに夕食を1人で食べる。
 
 焼きうどん作った。あとビール!何日ぶりだろう!!至福の時。アパートに帰ってきたことを区切りとして、「地震後の生活」がやっと終わったー、やれやれ…という祝杯の気持ちで飲みました。
 うどんという柔らかいものを食べてたのに歯が欠けた…。まあ地震前から半分ぐらい欠けかかってて、歯医者行かないと〜と思ってたとこに地震だったんだよね。そこから3週間余り、欠けかかった歯のことなどすっかり忘れたままいろんな物を食べ続けて、ついに今日、この焼きうどんというタイミングでパキッと欠けました。疲労骨折みたいなもんですかね。あらためて歯医者行かないとね。

 ネット見てる時に見つけた、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの寄付金募集に、カード決済で寄付。
 夜になって鼻水が出始める。電気・テレビつけっぱなしのままいつの間にか寝てしまう。夜中2時頃だったのかな。 

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4月6日(水) 27日目 天気:快晴。風あり。
 朝7時頃に目が覚める。つけっぱなしだった電気を消す。テレビはそのままつけっぱなしで朝食。
 今日は仕事はなし。テレビつけっぱなしで過ごす。テレ朝系・モーニングバードで「半日ボランティア」のリポートを見る。日テレ系・スッキリ!!では、被災地における動物保護の活動を特集していた。関西の団体?が被災地に入り、犬たちを保護して神奈川で預かっている。インタビューに答えている男性の腕、手首のあたりとかが傷だらけ。見知らぬ犬、しかもストレスいっぱいの犬を世話するってことはそういうことなんだな…と気づく。昨日テレビ見て書き留めたボランティア情報の中に、保護犬の世話ボランティア募集っていうのもあって、犬好きだし散歩の手伝いとかはできそうかな〜と思って書き留めたんだけど、この人の腕の傷だらけな様子を見て、甘い考えだったか…とちょっと参加を躊躇する気持ちが生まれる。
 他に昨日書き留めた中に、被災地に絵本や文房具を届けるという某ショップの活動があり、そこに持っていくための絵本や文房具の整理を午前中にする。これはすなわち、自分にとって不用な物、手放してもいい物を見つけて整理することでもあるので、部屋に物が多すぎる私にとっては一石二鳥。趣味で買っていた絵本の中から数冊と、ボールペン、シャープペンシルの替え芯、ノートなどの文房具を袋に詰める。
 歯医者に電話して治療の予約。

 午後〜夜もテレビ見ながら過ごす。
 日テレ系・ミヤネ屋で見た情報:松島の観光船とかは4月下旬、つまりGWから再開する。「松島庵」という食事処はすでに営業中。

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4月7日(木) 28日目(満4週間) 天気:快晴。風強い。
 昼、被災した犬・猫の保護活動をしている仙台のドッグカフェ「dogwood」に銀行振込で寄付。
 夕方、某ショップに絵本と文房具を持っていく。帰りにスーパーでチャッカマン的なものを買う。もともと持ってたのがいくらカチカチしても火が出なくなってたので(ガス切れ?)、新しいの買えてよかった。

 夜、地元局(TBC東北放送)の特別番組、「Nスタみやぎスペシャル」見る。(7時から9時、全国ではどんな番組やってたんだろう?)
 この番組で、私は地震後ほぼ初めて、「津波の恐ろしい映像」を見た。「津波の映像」じゃなくて「津波の”恐ろしい映像”」。迫る濁流に追いかけられて走って、頑丈なビルに逃げ込んで間一髪逃れた、そういう様子を映像で撮ってた人がいて、逃げたビルから今度は、濁流の中に取り残された車、その窓から身を乗り出してる親子…若いパパが子供2人を腕に抱えて車の窓枠に腰掛けて、ものすごい勢いで流れる水に囲まれる中、どうしようもなさげに固まってる…そういう映像も撮ってて、それがこの番組で放送されてました。その後、この親子は無事にそのビル(だったと思います)に移ることができた、とも放送されてましたが、ちょっと…やはり衝撃的でした。すごい怖い映像を見てしまった…と後悔するような気持ちもあり。でも、地震後(4月後半)に友人達と会った時にも話に出てきたけど、私達は地震の直後、停電でしばらくテレビは見れなかったんですよね。停電しなかった地方の人達はたぶん、地震の直後、ものすごい映像を1日中ずっと見てたんだろうね、私達はテレビ見れなくてある意味よかったよね…と皆で話しました。本震の揺れ、その後の混乱状態、そういう中で例えば前述の親子のような、ああいう類の映像をもし見てたら、たぶんもっとずっと精神的ダメージが大きかったんじゃないかと思う。直後はラジオだけでまだよかった〜と思いました。ろうそくの灯りだけの部屋で聞く「壊滅的被害」という言葉もかなり怖かったけどね。

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 そんなこの日の夜、11時32分。
 宮城で最高震度6強の揺れ。最初「ゴゴゴゴゴ」という地鳴り、すぐ激しい縦揺れ。私はこの時、床に座ってパソコン見てましたが、すごい揺れにあわてて立ち上がり、玄関に行こうとしたけど、揺れがすごすぎて歩けませんでした。ソファーに体が投げ出されて、右に左にもんどり打つ。思わず悲鳴が出る。2回。それでもまず、この時ちょうど充電中だった携帯を充電器から外そうとする。充電器というかコード(コネクタ?)をそのまま携帯の差し込み口(ソケット?)に挿す形での充電をしていたので、コードを携帯から抜こうとするが、コネクタ?プラグ?部分のボタンを押さえていつものように抜こうとしても、手が震えて抜けない。わーー!!と思ってますます焦って変な方向に引っ張ったりしてますます抜けない。仕方ないので抜けないまま、コードくっつけたままの携帯をバッグの中に放り入れる。
 そうこうしてる間に停電。部屋の電気もテレビも消える。でもパソコン起動中だったからほんとに助かった…!!ノートなので充電された電力があるうちは電源が落ちないんですよ。夜の停電時はノートパソコン最強!!そのおかげでモニターの明かりを頼りに棚の引き出しから懐中電灯を取り出すことができました。いやーよかった…ノートでよかった…このモニターの明かりがなかったらちょっとパニックになってたかもしれません。
 無事取り出した懐中電灯で照らしながら、実家に行くためにとにかく思いつく限りの物を準備。甜茶飴、財布、マスク、着替え、等々。食べ物は実家に十分あるので今回は持って行かない(行ってから「飲み物持ってくればよかった〜」とは思ったけど)。
 いろいろ準備してる時、どうも視界がぼやけて、あれ?なんで見えないんだろう?と思ったら、眼鏡が行方不明。揺れる前は確かにかけてたはず(かけてないとパソコンの画面が見えない)…もしやさっきの揺れで吹っ飛んだ??ひえーーそんなことが…とにかく眼鏡がないと車の運転もできないので、実家に行く前にまず床に這いつくばって眼鏡探し。しばらく探してたなぁ、視界がぼやけてるせいもあって難儀しましたが、揺れた時に座ってた場所のすぐそばに落ちてるのを見つけました。踏んづけたりしなくてよかった…。それにしてもいつ吹っ飛んだのか全くわからなかった!!恐るべし地震。あとでいろいろ聞くと、同じ地域に住んでても「今回の地震のほうが揺れた」「いや、3月のほうが揺れた」と見解が二分してたので、地盤の関係とかでいろいろ揺れ方は違ったみたいですね。私は断然、2回目(この日)の地震のほうが怖かった!!だって玄関まで行けなかったし…3月の地震の時はすぐ玄関には行けたもんね。悲鳴も今回は2回出ましたからね。でも揺れの強さというよりもやはり「揺れ方」が違った感じですね、2回目のほうが強い揺れがすぐに来た感じがしましたね。(私個人の体感なので、震源との位置関係等と合致しているかはわかりません。)あと夜だったしね。夜だと地震は怖さ倍増です。
 眼鏡探しで這いつくばった床には書類やら紙類が散乱。ああ〜またかよ!!という感じ。道路が渋滞してるかもしれないからトイレ入ってから行こう〜と思ってトイレに入ると、床が水浸し。水道管とかタンクの破損なのか、それとも別の何かなのかが暗くてよく見えなかったので、この時点ではとりあえず、雑巾にしてるタオルを数枚、水を吸わせるようにして床に置く。荷物を持って玄関を出ようとしたら、玄関そばの棚が倒れかけていることに気づく。よいしょっと起こし上げて外に出る。

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 車に乗り込み、まず実家の母にメール。停電してる?と送るが返事来ず。返事を待つ間にも車をゆさゆさ揺らす余震。うちのアパートやまわりの家々から、人々が外の様子を見に出てきている。家々の灯りが消えてるので外は真っ暗。そういえば最初の地震の日、避難所に行こうとしてた時、星空がきれいだったなぁ。ここはたいがい田舎だけどそれでも電気が消えるとこんなに星空が際立つんだなぁ…と思った記憶。書き忘れてたので今書きました。この時(2回目)は星空まで確認する余裕はなかった。大きい揺れの直後だったから動揺がおさまってなくてそれどころではなかったね。
 メールの返事がなかなか来ないので、行ったほうが早いと思い、出発。道路は渋滞してない。車は多くない。夜だからみんな運転は控えて家にいるのかも。信号も街灯も消えてるから昼間より危険だしね。信号は国道の1か所だけついてて他は消えてた。カーラジオで0時の時報を聞き、その後、実家に到着。

 当然のように実家も停電中。父母は茶の間でろうそくつけてラジオ聞いてた。じいちゃんはもう寝てた。母とコーヒーやお茶飲みながら、地震時の様子をお互い話す。お湯はストーブにやかんかけて沸かしました。やはり石油ストーブ最強…。
 ラジオからの情報で、最高震度6強だったことを知る。県内はほとんど6強か6弱だったんじゃないか?と思うぐらい、6強、6弱の地点の読み上げが延々と続く。だいぶ広範囲での強い揺れだったんだね。6強だったところでは火災も発生してるとか、揺れの後に逃げる時に怪我をした人もいる、との情報が引き続き流れる。
 私も手の指にすりむき傷があることにここで気づく。わー全然わかんなかった。どこかにぶつけたのか?いつだったのか全くわからないけど、けっこうベロンとすりむけてる。傷があると気がつくと俄然、痛みだす傷。じんじん痛む。ばんそうこう貼る。

 夜中だけど仕事関係の人とメールのやりとり。停電が解消するまではまた休まないといけませんね〜と。
 1時45分頃、寝床の準備して就寝。私が2日前まで使ってた布団がまだそのまま出してあったので、これまたおあつらえ向きに…とまた使う。布団に入ったものの、鼻水が一晩中出続けて眠れない。おそらく動揺した精神状態が原因の鼻水だったのでしょう。みみこのほうがよっぽど落ち着いて寝てるよ…ビビりな自分が情けない。
 4時半頃からだんだん空が白んでくる。

(続く)

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